『延喜式』神名帳の山城国綴喜郡に、月読神社と樺井月神社がみえます。
月読神社は、京都府京田辺市大住池平に鎮座します。
樺井月神社は、現在、木津川対岸の城陽市水主の水主神社の境内社となっていますが、社伝に、木津川の氾濫に遭って、寛文12年(1672)に、綴喜郡樺井(京田辺市大住)から現社地へ遷座したと伝わり、もとの地に樺井姓の人々が住み、当社を管理しています。
『記』安康記に、市辺押磐皇子が雄略に殺され、2人の子が何を逃れて落ちていく時、「苅羽井の猪飼」が2人の食べ物を奪った話がみえますが、「苅羽井」は樺井月神社の地とされます。(→ 苅羽井の猪飼)
古くから木津川の重要な渡しであった樺井の渡の守護神と伝わります。
(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):京都府:城陽市>水主村>水主神社>樺井月神社)
月読神社と樺井月神社の鎮座地は、『和名抄』綴喜郡大住郷であり、古代、大隅国から大隅直に率いられた隼人が来住したと伝わり、正倉院文書の山背国隼人計帳は当郷のものとされます。
月読神社の創始の由緒は明らかではありませんが、大隅国の隼人によって祭祀されたと考えられています。
(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):京都府:山城国>綴喜郡>大住郷、綴喜郡>田辺町>大住村、大住村>月読神社)
山城国綴喜郡大住郷に祭祀された、月読神社と樺井月神社の2つの月読神について、隼人との関係がうかがわれます。
◇ 山城国葛野郡の葛野坐月読神社の旧社地は、小字「吾田神」の地とみられ、隼人との関係が窺われる。(→ 葛野坐月読神社)