『釈日本紀』所引『上宮記』逸文に、継体天皇の系譜と即位についての記述がみえます。
系譜を図にすると次のようになります。
伊自牟良(牟義都国造)─久留比売命 中斯知命 ├─汙斯王 凡牟都和希王(応神?) ├────乎非王 │ ├─若野毛二俣王 ┌大郎子(意富々等王)│ クイ俣那加都比古─弟比売麻和加 ├─────┼践坂大中比弥王 │ 母々恩己麻和加中比売 ├田宮中比弥 │ └布遅波良己等布斯郎女├─乎富等大公王 伊久牟尼利比古大王(垂仁)─伊波都久和希─伊波知和希─┐ │ ┌─────────────────────────┘ │ └───伊波己里和希─麻和加介─阿加波智君─乎波智君 │ ├──┬─都奴牟斯君│ (余奴臣祖)阿那尒比弥└─────布利比弥命
また、系譜に続いて、次のような記述がみえます。
汙斯王、弥乎国高嶋宮に坐します時、此の布利比売命の甚美しき女なりということを聞して、人を遣して三国の坂井県より召上げて、娶ひて生みませるは、伊波礼宮に天の下治しめしし乎富等大公王なり。
父の汙斯王、崩去りまして後、王の母、布利比売命の言曰はく、「我独り、王子を持ち抱きて親族部なき国にあり。唯我独りにては養育奉らむこと難し。」と云ひ、尒に祖の在ます三国に将て下り去き、多加牟久村に坐さしめき。
『上宮記』逸文は、『上宮記』(上宮王家(聖徳太子一族)に関わる史書(現在は散逸))に引用された史料の一種と考えられています。
(大橋信弥『継体天皇と即位の謎』2020年、62~65頁、208~209頁)
◇ 『紀』継体即位前紀にみえる継体の父母の出自と世数は、『上宮記』逸文の継体系譜と一致し、両者の継体即位についての記述も概ね同じ内容となっている。(→ 『紀』『上宮記』逸文にみえる継体即位事情)
◇ 『上宮記』逸文の継体の母系系譜は、三尾君の始祖系譜と一致する。(→ 三尾君の始祖系譜)
◇ 『上宮記』逸文の継体の父系系譜は、『記』応神記の若野毛二俣王系譜に対応し、近江国坂田郡の勢力のものであることがわかっている。(→ 『記』若野毛二俣王系譜)