三尾角折君の本拠地

継体の9人の后妃のなかで、最初の妃は、三尾角折君の妹稚子媛と考えられています。

(→ 継体の三尾君の妃

三尾君の本拠地について、『紀』に「近江国高嶋郡の三尾の別業」、『上宮記』逸文に「弥乎国高嶋宮」とある、近江国高島郡と、振媛の出身地とみられる越前国坂井郡に、見解が2つに分かれています。

三尾角折君に関しても、近江と越前2説があります。

『足羽社記略』(足羽神社神官足羽敬明が享保2年(1717)福井藩主松平吉邦に献上)にみえる、福井藩領角折村を「角折君旧趾」とする記述に注目したいと思います。

角折村は、現在の福井県福井市角折町です。

昭和38年(1963)竣工の河道変更以前、足羽川は、角折で、日野川に合流していました。

合流地点には、「安居の渡」とよばれる渡しがあり、大渡・小渡に分かれ、大渡は、足羽川右岸の角折から日野川対岸の下市へ、小渡は、足羽川左岸の東下野から日野川対岸の下市へ越えていました。

また、合流地点の南の足羽川と日野川にはさまれた土地に、奈良東大寺領の初期荘園、道守庄が経営され、天平神護2年(766)10月21日作成「越前国足羽郡道守村開田地図」(正倉院蔵)によって、景観がほぼ正確にわかっています。

「開田地図」では、足羽川は「生江川」、日野川は「味間川」と記されます。

荘園経営の中心人物として、足羽郡大領、生江臣東人が知られ、その他に、生江臣息嶋など、生江臣が大きな比重を占めていました。

生江臣は、葛城襲津彦後裔氏族です。

また、天平神護2年(766)10月10日付足羽郡司解(東南院文書)に、「受生江川水従三重田神社北、応堀開如件」とみえ、庄域に「三重田神社」が所在します。

「三重田神社」は、三尾君に通じるかと思われます。

角折は、河川交通の要衝であり、東大寺の初期荘園が経営されるような生産性の高い土地でした。

さらに古い時代に有力在地勢力が形成される条件は揃っていると思われます。

母、振媛の故郷、越前国坂井郡に育った継体が最初の妃を迎え政治的に連携した勢力が当地に本拠を構えていた可能性は十分にあると考えます。

◇ 継体関係勢力の拠点は、葛城氏との重層関係が顕著に認められる。(→ 継体と葛城襲津彦の拠点の相関性

◇ 「道守」の地名と一義的に結びつく氏族は、道守臣である。道守臣は、開化系譜の建豊波豆羅和気の後裔と孝元系譜の波多矢代宿禰の後裔の2系がある。波多矢代宿禰は葛城襲津彦と兄弟関係にあり、『姓氏録』河内国皇別の的臣について、「道守朝臣同祖 武内宿禰の男、葛木曾都比古命の後なり」とみえ、道守朝臣を葛城襲津彦後裔とする認識がみられる。

目次