越前国坂井郡高向郷

『紀』『上宮記』逸文によると、継体天皇の母、振媛は、夫の彦主人王が亡くなったため、故郷に帰って継体を育てました。

振媛の故郷は、『紀』に「三国の坂中井」「高向」、『上宮記』逸文に「三国の坂井県」「多加牟久村」と記され、『和名抄』の越前国坂井郡高向郷に比定されます。

古代の高向(たかむこ)郷は、中世の高椋(たかぼこ)郷に継承されました。

また、慶長11年(1606)頃の越前国絵図に「坂北郡高ほこノ郷」がみえ、現在の福井県坂井市丸岡町小黒・猪爪・板倉・末政・野中山王・大森・山崎三ケ・儀間・吉政・牛ヶ島・豊原高瀬・筑後清水・高田・四ツ柳を含む地と考えられています。

福井県北部の坂井平野東部、東に連なる加越山地(火灯山・劔ヶ岳・刈安山)東南麓、南を流れる九頭竜川北岸扇状地の地域です。

『上宮記』逸文系譜に、振媛は、三尾君祖の後裔となっています。

『延喜式』兵部省の越前国駅馬に「三尾」駅がみえ、記載順から、足羽駅(福井市足羽山東北麓に比定)より北方であることから、坂井郡内に所在したと推測されます。

高向郷の北、坪江郷に属する、竹田川右岸の「御簾尾」(福井県あわら市御簾尾)を遺称地とみる見解があります。(竹田川左岸は、長畝郷、右岸は、坪江郷)

(その場合、「桑原駅」(天平神護2年(766)10月21日付「越前国司解」)が「御簾尾」対岸の「桑原」に比定されることから、「三尾駅」と「桑原駅」の関係が問題となります。)

また、天平5年(733)の「山城国愛宕郡計帳」(正倉院文書)に「越前国坂井郡水尾郷」がみえますが、『和名抄』には記載がありません。

坂井郡の在地勢力は、三国真人が最有力で、次に、品治部公、海直と続き、三尾君は、史料に全くみえません。

三国真人の旧姓は公で、『紀』継体元年3月条に、継体と三尾君堅楲女倭媛のあいだに生まれた椀子皇子について、「是三国公の先なり」と記され、『姓氏録』左京皇別にも、三国真人は、「継体の皇子、椀子王の後なり」とあります。

いっぽう、『記』応神記の若野毛二俣王系譜には、意富々杼王(『上宮記』逸文系譜では継体の曾祖父にあたる)の後裔に、三国君がみえます。(→ 『記』若野毛二俣王系譜

三国真人の「三国」は、『紀』『上宮記』逸文に振媛の故郷としてみえる「三国」に対応し、日本海海上交通の要衝、九頭竜川河口の三国湊、『延喜式』神名帳の越前国坂井郡の三国神社(福井県坂井市三国町山王)と繋がります。

振媛の故郷、継体の育った土地とされる、越前国坂井郡に、「三尾」駅の存在は認められるものの、三尾君は、痕跡を一切残さず、在地有力勢力は、継体天皇皇子、椀子皇子後裔を称する三国真人となっています。

◇ 『紀』『上宮記』逸文にみえる「近江国高嶋郡の三尾の別業」「弥乎国高嶋宮」の地、近江国高島郡において、「三尾」に関わる地名は多数残るが、三尾君は史料に全く検出されない。(→ 近江国高島郡三尾郷

◇ 振媛の出身勢力は三尾君なのか否か、三尾君の本拠地は何処なのか。(→ 振媛と三尾君をめぐる問題

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