桑田郡は、丹波国の東南部に位置し、京都府亀岡市・京都市上京区の旧京北町域・南丹市の旧美山町域にあたります。
京都府亀岡市馬路町三日市の周辺は、古代の丹波国桑田郡の中心地域の1つと考えられています。
丹波国分寺跡(亀岡市千歳町国分桜久保)と、国分尼寺跡に推定される御上人林廃寺跡(亀岡市河原林町河原尻)のあいだを北上してきた古代の山陰道が通り、三日市の北200m には、丹波地方最大の前方後円墳である千歳車塚古墳が所在します。
また、『延喜式』神名帳の丹波郡桑田郡に、名神大社として、出雲神社、小川月神社がみえますが、出雲神社は、三日市の北東860m (亀岡市千歳町出雲)に、小川月神社は、南西1.2km(亀岡市馬路町馬路) に鎮座します。
出雲神社は、出雲大神宮とよばれ、本殿背後の御影山を神体山とし、大己貴尊・三穂津姫命を祭神とします。
小川月神社は、月読尊を祭神とし、大堰川の旧流路とみられる古川の西岸に位置し、社伝によると、応仁の頃、洪水により社地を流出したといわれます。
月神は、日向の隼人の神と推測されます。(→ 山城国綴喜郡の月読神社・樺井月神社)(→ 葛野坐月読神社)
丹波国桑田郡は、出雲と日向の勢力と深い関係にあったことが窺われます。
◇ 5世紀末、武烈の死後、王権は丹波国桑田郡の倭彦王を大王に推戴しようとして失敗した。(→ 丹波国桑田郡の倭彦王と「玖賀」)
桑田郡の政治的中心地域として、三日市の他に、丹波国府推定地・郷名と同じ桑田郷の地があげられます。丹波国府は、『和名抄』に、「在桑田郡上一日下半日」とあり、桑田郡域とされ、船井郡域ではあるが、郡境に近く、小字国府が残る、京都府南丹市八木町屋賀に推定されています。また、郡家の所在地とみられる桑田郷は、式内社桑田神社の鎮座する、亀岡市篠町山本、篠町篠・篠町野条に比定されます。