尾張国中島郡の式内社である久多神社(愛知県稲沢市東畑)は、天背男命を祭神とします。

天背男命は、尾張大国霊神社久田氏・野々部氏の祖であり、町の西部に天降りして住んだという岩窟がありましたが、江戸時代には荒廃して畑地となっていました。
天保13年(1842)に、祭神の子孫である大国霊神社宮司野々宮茂富らが現在地に再建したと伝わります。
(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge)愛知県:稲沢市>稲島村>久多神社)
天背男命の後裔が神官を務める尾張大国霊神社は、久多神社の南南東960mに鎮座し、一帯(稲沢市国府宮・松下)は、尾張国府跡に推定されています。
尾張大国霊神社は、国府の鎮守という位置付けですが、尾張国の一義的政治勢力は、ホアカリ後裔の尾張連であり、天背男とホアカリは、何か近しい関係にあったのではないかと思われます。
(中島郡は、国府のほか、稲沢市矢合町に国分寺が建立され、尾張国の政治的中心地でした)
(尾張大国霊神社・久多神社の鎮座する地域は、『和名抄』の尾張国中島郡茜部郷に属します)
また、『旧事紀』「天神本紀」に、天背男の後裔として、「尾張中嶋海部直」がみえ、中島郡とともに海部郡にも、天背男後裔氏族が居住していたことがわかります。
中島郡と海部郡の郡境付近に注目したいと思います。
『和名抄』の中島郡石作郷は、石作神社(愛知県あま市石作郷)周辺に比定されますが、その南南東1.5kmにある甚目寺は、海部郡新屋郷に属し、このあたりが郡境となっています。
石作郷を拠点とする石作連、甚目寺を拠点とする高尾張宿禰は、火明(ホアカリ)神系に属する大和葛城の勢力と深く関わることがわかっています。
尾張国中島郡・海部郡をみると、天背男と火明の重複が認められ、2神は近しい関係にあったと推測されます。
◇ 山城国においても、天背男と火明の2神の後裔分布地域が重複する。(→ 山城国の天背男後裔氏族)
◇ 『山城国風土記』逸文の鴨氏伝承と『紀』天香香背男伝承は、天背男を通して共通構造を持つ。(→ 角凝と天背男・久我)
◇ 茜部郷の北に接する美和郷に、名神大社である大神神社・大神社が鎮座する。大神(おおみわ)神社(一宮市花池)は、美和郷の名称に関わり、大和の三輪山の大神神社との関係が窺われる。いっぽう、大(おお)神社(一宮市大和町於保)の祭神は神八井耳であり、「大(おお)」は、『延喜式』に「太」と表記され、太(多)氏を示す。