『紀』景行紀40年是年条に、ヤマトタケルの妃の弟橘媛の話がみえます。
弟橘媛について「穂積氏忍山宿禰の女」とあり、51年8月条に、ヤマトタケルとのあいだに稚武彦王をもうけたことがみえます。
『記』にも同様の話がみえ、ヤマトタケルとの子は若建王と記されますが、出自の記述はなく、いっぽうで、「穂積臣等祖建忍山垂根女弟財郎女」が成務天皇とのあいだに和訶奴気王をもうけたことがみえます。
「穂積氏忍山宿禰」と「穂積臣等祖建忍山垂根」は同一人物とみられ、その子の「稚武彦王」「若建王」と「和訶奴気王」も同一人物で、この父子の系譜を、『紀』は弟橘媛に、『記』は成務の后に紐付けしたものと推測されます。
いっぽう、『紀』継体紀6年条・7〜10年条・23年条に、穂積臣押山というよく似た名前の実在の人物がみえます。
穂積臣押山は、6世紀前半に百済の加耶進出に対応した外交官であり、特に、哆唎(栄山江中・下流域)地域と密接な関係を有していました。(→ 『紀』継体紀の穂積臣押山)
なぜ、ヤマトタケル伝承と継体紀によく似た名の人物が登場するのか。
伊勢国鈴鹿郡・河曲郡(鈴鹿川中・下流域)に注目します。
① ヤマトタケルの能褒野陵
『記』『紀』によると、ヤマトタケルは、能褒野(能煩野)で亡くなり、能褒野陵に葬られました。
「能褒野」は、鈴鹿郡北部の大野・鞠鹿野・広瀬野などの広大な台地の総称であり、『延喜式』諸陵寮に、「能裒野墓〈日本武尊 在伊勢国鈴鹿郡 兆域東西二町 南北二町 守戸三烟〉」とみえ、三重県亀山市田村町の能褒野古墳に治定されます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge)三重県:亀山市>田村>能褒野古墳)
② 伊勢大鹿首と近江国坂田郡
『延喜式』神名帳の伊勢国河曲郡にみえる大鹿三宅神社(三重県鈴鹿市池田町)は、鈴鹿川下流右岸に鎮座し、伊勢大鹿首の奉祭神とされます。
また、鈴鹿川左岸の台地上の鈴鹿市国分町は、伊勢国分寺の所在により「国分」を村名としますが、平安期までは在地豪族大鹿氏の本拠地として「大鹿村」と称し、御巫清直は『伊勢式内神社撿録』において、当地の菅原神社を式内社の大鹿三宅神社に比定します。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):三重県:鈴鹿市>旧河曲郡地区>国分村)
6世紀後半、伊勢大鹿首氏は大王の妃を輩出します。
息長真手王────広姫
├───────押坂彦人大兄皇子
敏達〈渟中倉太珠敷〉 ├──舒明〈息長足日広額〉
├───────糠手姫皇女〈田村皇女〉
伊勢大鹿首小熊──菟名子夫人
敏達天皇は、近江国坂田郡の息長真手王の娘と伊勢国河曲郡の伊勢大鹿首小熊の娘を后妃とし、それぞれの子が婚姻して生まれた子が即位し、舒明天皇となります。
鈴鹿山脈をはさんだ近江国坂田郡と伊勢国河曲郡の勢力が緊密な関係を結び、王権に関与したことがわかります。
近江国坂田郡は、ヤマトタケルが重い病を得た伊吹山の所在する土地であり、また、継体天皇の父系勢力の本拠地でもあります。
③ 伊勢国三重郡采女郷
『和名抄』伊勢国三重郡采女郷は、三重県四日市市采女町を遺称地とし、②の鈴鹿市国分町の北に接します。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):三重県:伊勢国>三重郡>采女郷)
郷名は、采女臣の拠点であることを示し、采女臣と穂積臣は同祖関係にあり、采女地区を流れる内部(うつべ)川の「内(うつ)」は、『紀』開化即位前紀に「穂積臣の遠祖欝色雄命」とみえる「欝色雄(内色許男)」の「欝」「内」(うつ)に通じます。
ヤマトタケルが「能煩野」に至る直前に通過した「三重村」は当地に比定されます。
④ 『延喜式』神名帳の伊勢国河曲郡にみえる飯野神社は、鈴鹿市長太旭町に鎮座します。
伊勢湾に臨む長太(なご)地区は、『和名抄』河曲郡海部郷に比定され、海上交通に関わる勢力の奉祭神とみられます。
『記』に、ヤマトタケルと弟橘比売の子、若建王の妃となった飯野真黒比売がみえます。
飯野真黒比売に関わる、『記』景行記・応神記の系譜は次のとおりです。
弟橘比売
├────────────────若建王
ヤマトタケル ├──須売伊呂大中日子王
├─息長田別王─杙俣長日子王─┬─飯野真黒比売
(一妻) ├─息長真若中比売
│ ├─若野毛二俣王┌─大郎子(意富々杼王)
│ 応神 ├─────┼─忍坂之大中津比売
└─百師木伊呂弁 ├─田井之中比売
├─田宮之中比売
├─藤原之琴節郎女
├─取売王
└─沙禰王
飯野真黒比売の妹、息長真若中比売と弟比売(百師木伊呂弁)からは、近江国坂田郡の継体父系の若野毛二俣王系譜が形成されます。
また、飯野神社は、鈴鹿市神戸と三日市にもあり、前者の神館飯野高市神社(神戸宗社)は、もとは西条村もしくは三日市村にあったが天文末年頃遷座したと伝わります。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):三重県:鈴鹿市>旧河曲郡地区>北長太村、旧河曲郡地区>神戸城下>石橋町>神館飯野高市神社)
いっぽう、②の大鹿三宅神社の同名社が鈴鹿市神戸の十日市町にあり、神館飯野高市神社(神戸宗社)に合祀されています。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):三重県:鈴鹿市>旧河曲郡地区>池田村)
飯野神社と大鹿三宅神社の論社の地域がほぼ一致していることがわかります。
⑤ 忍山神社と貴志神社
『延喜式』神名帳の伊勢国鈴鹿郡に、忍山神社(三重県亀山市野村町)がみえます。(→ 伊勢国鈴鹿郡の忍山神社・布気神社)
また、『紀』継体紀に、穂積臣押山と行動をともにする人物として、物部伊勢連父根と吉士老がみえ、前者は、名に「伊勢」を含むことから伊勢国の人物とみられ、後者については、河曲郡の式内社である貴志神社が伊勢湾に臨む鈴鹿市岸岡町に鎮座し、鈴鹿郡・河曲郡の海洋系勢力と考えて矛盾はありません。
①〜⑤をみてくると、伊勢国鈴鹿郡・河曲郡は、ヤマトタケルとも継体とも密接な関係をもつ土地であり、そうした背景のもとに「穂積氏忍山宿禰」と「穂積臣押山」を考える必要があります。
また、その他にも複数、ヤマトタケル伝承と継体の属性の重複が認められます。(→ ヤマトタケル伝承と継体)