伊勢国多気郡麻続郷

『和名抄』伊勢国多気郡麻続郷は、三重県明和町中海(なこみ)を中心に志貴付近を含む祓川(英保3年(1083)以前の櫛田川の本流)下流域に比定されます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):三重県:伊勢国>多気郡>麻続郷、伊勢国>多気郡>多気郷、松阪市>祓川)

斎宮の所在した多気郡多気郷の北にあたります。

『延喜式』神名帳の伊勢国多気郡の「麻続神社」は、明和町中海の旧郷社麻績神社(もと中麻績神社)に比定されます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):三重県:多気郡>明和町>中海村)

中海の麻績神社の北西1.3kmに、神麻績機殿神社(松阪市井口中町)、その北北東1.9kmに、神服織機殿神社(松阪市大垣内町)が鎮座します。

神服織機殿神社と神麻績機殿神社は、伊勢神宮内宮に奉る神御衣を織る機殿の守護神とされます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):三重県:松阪市>大垣内村>神服織機殿神社・神麻績機殿神社)

『延喜式』伊勢太神宮の四月九月神衣祭条に、「右和妙の衣は服部氏、荒妙の衣は麻績氏。各自潔斎して、祭月一日より始めて織り造り、十四日に至りて祭に供ふ」とみえます。

『紀』崇神紀7年8月条に、倭迹速神浅茅原目妙姫・穂積臣遠祖大水口宿禰・伊勢麻績君の3人が、大物主神・倭大国魂神の祭祀を告げる夢をみたことが記されます。

伊勢麻績君は、伊勢国多気郡麻続郷の勢力と推測されます。

当該条は、大物主神・倭大国魂神の2神が混交されていますが、倭大国魂神のみを記す『紀』垂仁紀25年3月条一云に、穂積臣遠祖大水口宿禰の関与が記されることから、伊勢麻績君も倭大国魂神に関与した勢力と推測されます。(→ 大物主神と倭大国魂神

『延喜式』神名帳の伊勢国多気郡に「大国玉神社」がみえ、論社の大国玉神社(松阪市六根町)は、神麻績機殿神社と神服織機殿神社を結ぶ線上に位置します。(神麻績機殿神社の北600m、神服織機殿神社の南1.3km)

また、神服織機殿神社の鎮座する大垣内の北の小字「神守」は「掃守」と同義とみられます。

伊勢国多気郡麻続郷に、機織・掃守・大国魂の3つの属性の重複がみられます。

大和国葛下郡と淡路国三原郡において、倭文・掃守・大国魂の重層性が認められ、属性が似ることが注目されます。(→ 葛木倭文坐天羽雷命神社)(→ 淡路国三原郡の大和大国魂神社

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