『記』『紀』に、大己貴・少彦名の2神をめぐる三輪山の神についての記述がみえます。
『記』によると、共に国作りをしてきた少名毘古那神が常世に渡り、大国主神が途方に暮れていると、海を照らして神が現れ、次のように言います。
能く我が前を治めば、吾、能く共与に相作り成さむ。
若し然らずば、国、成ること難けむ。
吾をば、倭の青垣の東の山の上にいつき奉れ。
そして、「此は、御諸山の上に坐す神ぞ」とあります。
『紀』神代紀第8段一書第6にも、同様の話がみえ、少彦名が常世郷に行って、大己貴神が途方に暮れていると、海を照らして神が現れ、次のように言います。
如し吾在らずは、汝何ぞ能く此の国を平けましや。
吾が在るに由りての故に、汝其の大きに造る績を建つことを得たり。
吾は是汝が幸魂奇魂なり。
吾は日本国の三諸山に住まむと欲ふ。
そして、「此、大三輪の神なり、此の神の子は、即ち甘茂君等・大三輪君等、又姫蹈鞴五十鈴姫命なり」とあります。
この話によれば、大己貴神と共に国作りをしてきた少彦名神が常世に去り、その代わりに現れたのが三輪山の神とされ、神格について、『紀』に「大己貴神の幸魂奇魂」とあります。
◇ 『記』『紀』に、三輪山の神として、①少子部蜾蠃の雷神、②大物主神、③倭大国魂神、④大己貴神の4神がみえるが、時系列は①②③④の順であると推測される。(→ 三輪山の神の変遷)