尾張国中島郡の売夫神社

『延喜式』神名帳の尾張国中島郡にみえる売夫神社は、日光川右岸、愛知県稲沢市平和町嫁振に鎮座します。

『尾張名所図会』(天保12年(1841)成立)に、次のようにみえます。

「娌振村にありて今八幡社と称す延喜神名式に売夫神社本国帳に従三位売夫天神としるせり夫文字をふりとよむハ隠岐国知夫郡をちふりとよむ同例なり伊香色雄命の御子大咩布命を祭る

『尾張志』(尾張藩編集の地誌 天保14年(1843)成立)にも同様の記述がみえます。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge)愛知県:中島郡>平和町>娶振新田村>売夫神社)

大咩布を祭神とする、摂津国河辺郡の売布神社・高売布神社と同じ性格を持つ神社と推測され、『延喜式』にみえる、一連の売布神社・高売布神社の範疇に属すると考えます。

(→ 摂津国河辺郡の売布神社・高売布神社)(→ 売布(めふ)と女布(によう)

鎮座地の小字「嫁振」について、『尾張国地名考』(文化13年(1816)成立)の「娵振新田村」の項に、旧音「よめぶり」、今「よめふり」と注記し、「此村二百四五十年前〈永禄元亀の頃か〉塩畑村より開きたり与梅扶利とは丸葉柳の名也此樹の数多ありたる地ゆへに取も直さず娵振新田と号く娵振は借字なり」と記されます。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge)愛知県:中島郡>平和町>娶振新田村)

「塩畑村」は「勝幡村」であり、後に、織田信定により勝幡城が築城された、三宅川・領内川が日光川に合流する交通の要衝に祭祀された神社であることがわかります。

また、北に接して、『紀』安閑紀2年5月条の「尾張国間敷屯倉」、『紀』宣化紀元年5月条に「蘇我大臣稲目宿禰は、尾張連を遣して、尾張国の屯倉の穀を運ばしむべし」とある「尾張国屯倉」の比定地が広がります。

(→ 尾張国海部郡の伊久波神社

◆ オホメフの問題を包括的に知りたい方は、「イキシニホをめぐる問題点」をご覧ください。

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