『旧事紀』「天孫本紀」に、饒速日命の7世孫として、大咩布(オホメフ)命がみえ、若湯坐連等祖とあります。
また、大咩布命の名は、『高橋氏文』(『本朝月令』六月「朔日内膳司供忌火御飯事」所引)に次のようにみえます。
此の時に、勅りたまはく、「誰が造りて進れる物ぞ」と問ひ給ふ。
爾時に、大后奏したまはく、「此は磐鹿六獦命が献れる物なり」といひたまふ。
即ち、歓び給ひ誉め賜ひて勅りたまはく、
「此は磐鹿六獦命、独が心のみには非じ。
斯れ、天に坐す神の行ひ賜へる物なり。
大倭国は、行事を以ちて名を負へる国なり。
磐鹿六獦命は、朕が王子等にあれ、子孫の八十連属に遠く長く、
天皇が天つ御食を斎忌ひ取り持ちて仕奉れ」
と負せ賜ひて、則ち、
若湯坐連等が始祖物部意富売布連が佩ける大刀を脱き置かしめて、副へ賜ひき。
・・・・・・・
是の時に、上総国の安房大神を御食つ神と坐せ奉りて、
若湯坐連等が始祖、意富売布連が子、豊日連を火鑚とせしめて、
此を忌火として斎ひゆまへて御食を供へ、
幷せて、大八洲を像りて、八男子・八女子定めて、
神斎・大嘗等に供奉り始めき。
〈但し、安房大神を御食神とすと云ふは、今、大膳職に祭る神なり。
今、忌火を鑚らしむる大伴造は、物部豊日連が後なり。〉
景行天皇が上総国安房浮島宮に行幸した時、みごとな料理を献上した磐鹿六獦命に対し、御食(みけ)奉仕役に任じる証しとして、若湯坐連等始祖物部意富売布連の大刀を下賜し、安房大神の祭祀の際に、若湯坐連等始祖物部意富売布連の子、豊日連が忌火を鑚ったことがみえます。
大売布(大咩布・意富売布)は、景行の側近とされます。
また、『姓氏録』に、次のような大売布後裔氏族がみえます。
左京神別上 | 若湯坐宿禰 | 石上同祖 |
摂津国神別 | 若湯坐宿禰 | 石上朝臣同祖 神饒速日命の6世孫、伊香我色雄命の後なり |
山城国神別 | 真髪部造 | 神饒速日命の7世孫、大売大布乃命の後なり |
今木連 | 上に同じ | |
和泉国神別 | 志貴県主 | 饒速日命の7世孫、大売布の後なり |
若湯坐宿禰(旧姓連)の他に、真髪部造・今木連・志貴県主が大売布の後裔氏族とされることがわかります。
◇ 若湯坐連には、イキシニホを祖とするものがあるが、オホメフとイキシニホは表裏一体の関係にある。(→ 売布(めふ)と女布(によう))
◆ 大咩布(オホメフ)について包括的に知りたい方は、「イキシニホをめぐる問題点」をご覧ください。