応神は、品它真若王の3人の娘と結婚し、そのなかの中日売とのあいだに仁徳が生まれました。
仁徳は「誉田(ほむだ)の日の御子」とよばれ、出身母体を、品它(ほむだ)真若王一族とする認識がうかがえます。(→ 品它真若王と応神・仁徳)
品它真若王は、『記』によると、父は、景行天皇と八坂之入日売の子、五百木之入日子、母は、尾張連祖、建伊那陀宿禰の娘、志理都紀斗売とあります。
建伊那陀宿禰は、「天孫本紀」の尾張氏系譜に、建稲種命とみえます。
「天孫本紀」の尾張氏系譜は、途中で地域性が変化し、10世孫までは、大和葛城の勢力、11世孫以降は、尾張の勢力であることが指摘されています。(新井喜久夫「古代の尾張氏について(上)」(『信濃』21-1、1969年))
11世孫は乎止與と記され、乎止與の子が12世孫の建稲種です。
「国造本紀」に、小止與(乎止與)について次のようにみえます。
尾張国造 志賀高穴穂朝 以天別天火明命十世孫小止與命定賜国造
品它真若王の母、志理都紀斗売は、尾張連の始祖的人物の孫にあたることがわかります。
尾張連は、日向で生まれた火明(ホアカリ)を祖神とします。(→ ホアカリ・ホスソリ・ホデミ)
「品它(ホムダ)」の名義について、『記』垂仁記の「本牟智和気(ホムチワケ)」に関する記述が参考になるかと思います。
本牟智和気について「火中に生めるが故に、其の御名は、本牟智和気御子と称ふべし」と、「ホムチワケ」の「ホム」は「火」を示すことから、「ホムダ」の「ホム」も「火」を意味し、「火」は「火明(ホアカリ)」を指すのではないかと思われます。
また、尾張連は、天皇即位時に授受される3種の神器の1つとして知られる草薙剣を熱田神宮に奉祭します。
草薙剣の熱田への祭祀時期について、当初、品它真若王と尾張連祖建伊那陀宿禰の系譜は、『記』『紀』研究において実在の大王とされる仁徳の出身母体である「誉田(品它)」についてのものであり、尾張連と倭王権が最も緊密に結びついたとみられる5世紀初頭に開始されたと推測しました。
しかし、『記』『紀』5世紀前半の記述の大半がどうみても、5世紀後半もしくは6世紀前半に繫年されると考えるようになり、尾張連祖建伊那陀宿禰系譜の年代観も再考が必要と思われます。(→ 尾張連による草薙剣祭祀)(→ 河内志紀と尾張を結ぶ神八井耳)
尾張連は、出雲で出現した剣を祭祀し、日向で誕生した神を祖神とし、「出雲」「日向」が連結されていることにも注目します。