『延喜式』神名帳の丹後国与謝郡に名神大社としてみえる籠神社は、天橋立の北側の付根近く成相山今熊野の麓に鎮座します。
当社に伝わる「海部氏系図」は、9世紀後半の成立とされ、火明(ホアカリ)を始祖として、神官家である海部氏歴代の人名が記されます。
始祖より3代について、次のようにみえます。
始祖 彦火明命 ー 三世孫 倭宿禰命 ー 孫 健振熊宿禰
「倭宿禰命」を、倭直祖の椎根津彦とする説があります。
「国造本紀」神武東征の記述冒頭に「吾是皇祖彦火々出見尊孫椎根津彦」と、椎根津彦が彦火々出見(ホデミ)の孫を名乗る記述がみえます。(→ ホデミと倭直・阿曇連)
ホデミは、『紀』本文では、ホアカリの兄弟とされ、『記』では、ホアカリの甥とされます。(→ ホアカリ・ホスソリ・ホデミ)
「海部氏系図」の「倭宿禰命」はホアカリの3世孫なので世数は一致しませんが、ホアカリとホデミは近い関係にあり、「倭宿禰命」=椎根津彦説は可能性として残ります。
また、「健振熊宿禰」は「国造仕奉支品田天皇御宇」と注記がみえ、『記』『紀』に応神天皇側近の将軍とされる難波根子武振熊と名が酷似します。
『記』『紀』の難波根子武振熊は「和珥臣祖」とあり、「海部氏系図」の始祖がホアカリであることと矛盾しますが、『記』『紀』孝昭系譜に、和珥臣祖天足彦国押人の母は尾張連遠祖瀛津世襲の妹の世襲足媛とあり、和珥臣がホアカリを祖とする尾張連と近い関係にあることから、「健振熊宿禰」=難波根子武振熊説も可能性として残ります。
籠神社については、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮とする伝承も知られます。(→ 丹後の元伊勢伝承)