広田神社・生田神社・長田神社の起源

『紀』神功紀元年2月条にみえる、住吉大社の起源の話のなかに、広田神社・生田神社・長田神社の創始に関する記述がみえます。

神功皇后が瀬戸内海を難波へ向けて航海していると、船が海上で廻って進めなくなったので、「務古水門」(武庫川河口域の港津)に戻り、占いをしました。

占いには、「天照大神の荒魂を広田国に、稚日女尊を活田長峡国に、事代主尊を長田国に、表筒男・中筒男・底筒男の和魂を大津の渟中倉の長峡に祭れ」とあり、そのとおりにすると無事航海できました。

広田国の天照大神の荒魂、活田長峡国の稚日女尊、長田国の事代主尊は、広田神社(西宮市大社町)、生田神社(神戸市中央区下山手通)、長田神社(神戸市長田区長田町)を示します。

『延喜式』神名帳では、広田神社は、摂津国武庫郡、生田神社・長田神社は、摂津国八部郡に属し、3社とも名神大社とされます。

摂津国武庫郡・菟原郡・八部郡は、六甲山地を背後に瀬戸内海に面した細長い平野が形成され、務古水門・兵庫津(大輪田泊)など自然の良港を擁する交通の要衝でした。

また、4神は、『紀』神功摂政前紀にみえる、筑紫橿日宮に出現した住吉大神が自ら名のった4神と対応することが指摘されます。

対応関係は、次のとおりです。

神社神名対応する『紀』神功摂政前紀の神
広田天照大神神風の伊勢国の百伝ふ度逢県の拆鈴五十鈴宮に所居す神、
名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
生田稚日女尊幡荻穂に出し吾や、尾田の吾田節の淡郡に所居る神有り
長田事代主尊天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神有り
住吉表筒男・中筒男・底筒男日向国の橘小門の水底に所居て、水葉も稚に出で居る神、
名は表筒男・中筒男・底筒男の神有す

広田社・長田社・住吉大社の神は一致しますが、生田社の稚日女尊に対応する「尾田の吾田節の淡郡に所居る神」は、志摩国答志郡の粟嶋坐伊射波神社・粟嶋坐神乎多乃御子神社とされます。(→ 伊雑宮と佐美長神社

また、当該地域と住吉大社との関係事例として、本住吉神社(神戸市東灘区住吉宮町)が注目されます。

本住吉神社は、式内社ではありませんが、住吉大社の地に遷座される以前の本地と伝わり、『住吉大社神代記』に「菟原郡社」と記され、住吉大社と同格の神社を示す「大神宮」の一つとなっています。

また、『住吉大社神代記』に、次のような、住吉大神と広田大神の密接な関係を示す「御風俗和歌」がみえます。

或記に曰はく、

「住吉大神と広田大神と、公親を成したまひき。

故、御風俗の和歌有りて、灼然なり。

『住吉に 伊賀太浮かべて 渡りませ 住吉の夫子』といふ。

是は即ち、広田社の御祭の時に神の宴の歌なり」

といふ。

◇ 広田神社・生田神社・長田神社の祭祀者は、天津彦根と関わりが認められる。(→ 広田神社・生田神社・長田神社と天津彦根

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