『記』『紀』仲哀段に、筑紫橿日宮で神功皇后が招き寄せた神の怒りで、仲哀天皇が絶命する話がみえます。
神は、熊襲討伐に出発しようとする仲哀天皇に、熊襲ではなく沢山の宝物がある朝鮮半島へ派兵するよう諭しました。
受け入れなかった仲哀天皇は神の怒りで絶命し、神功皇后の腹にやどる子が新たな王となることが告知されました。
神功皇后は、子が途中で生まれないように腰に石を纏いて新羅へ出兵し、筑紫へ戻った時に応神天皇を出産しました。(→ 鎮懐石伝承と応神誕生の地)
『紀』神功摂政前紀9年3月条に、筑紫橿日宮で仲哀天皇を諭した神に名を尋ねる記述がみえ、神は、次のように4つの名を示しました。
- 神風の伊勢国の百伝ふ度逢県の拆鈴五十鈴宮に所居す神、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命
- 幡荻穂に出し吾や、尾田の吾田節の淡郡に所居る神有り
- 天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神有り
- 日向国の橘小門の水底に所居て、水葉も稚に出で居る神、名は表筒男・中筒男・底筒男の神有す
4神は、神功紀元年2月条にみえる務古水門で顕れた4神に対応するといわれ、順に、広田神、生田神、長田神、住吉神を示します。(→ 広田神社・生田神社・長田神社の起源)
最後に名を顕した住吉神が応神誕生に関わる本質的な神とみられます。
『記』『紀』神代段に、筑紫日向小戸橘檍原でイザナキが禊ぎをした時に、表筒男・中筒男・底筒男の住吉3神が表津少童・中津少童・底津少童の海神3神とペアで生まれたことがみえ、住吉3神と海神3神の深い関係が窺われます。
住吉3神が顕れて仲哀天皇に教え諭した筑紫橿日宮は、海神3神を奉祭する阿曇連の本拠と一体性を持つことに注目します。(→ 津守連と阿曇連)