『紀』に武内宿禰の父と記される「屋主忍男武雄心」が、『記』では存在しないという事象がみられます。(→ 屋主忍男武雄心)
また、「屋主忍男武雄心」が武内宿禰の父であるという記述は、『紀』景行紀3年2月条にみえ、武内宿禰の出自を示す『紀』孝元系譜には、彦太忍信(ヒコフツオシノマコト)が祖父であるとしか記されていないことも注目されます。
『記』 比古布都押之信
├─────建内宿禰
木国造祖宇豆比古妹山下影日売
『紀』 彦太忍信───屋主忍男武雄心
├──────武内宿禰
紀直遠祖菟道彦女影媛
『記』に「屋主忍男武雄心(武猪心)」が存在しない理由を探っていきたいと思います。
『記』孝元系譜をみると、「屋主忍男武雄心」に類似する「少名日子建猪心」が記されています。
『紀』孝元系譜に「一云」(異伝)として「天皇母弟少彦男心命」と記される「少彦男心」は、「少名日子建猪心」のことであると思われます。
『記』 大倭根子日子国玖琉命(孝元)
│ │ ├──┬──大毘古命
│ │ │ ├──少名日子建猪心命
│ │ │ └──若倭根子日子大毘々命(開化)
│ │ │
│ │ 穂積臣等祖内色許男命妹内色許売命
│ │
│ ├─────────比古布都押之信命
│ 内色許男命女伊迦賀色許売命
│
├─────────────建波邇夜須毘古命
河内青玉女波邇夜須毘売
『紀』 大日本根子彦国牽天皇(孝元)
│ │ ├────┬──大彦命
│ │ 欝色謎命 ├──稚日本根子彦大日日天皇(開化)
│ │ └──倭迹迹姫命
│ │ (一云 天皇母弟少彦男心命)
│ │
│ ├───────────彦太忍信命
│ 伊香色謎命
│
├───────────────武埴安彦命
河内青玉繫女埴安媛
「少名日子建猪心」の「少名日子(すくなびこ)」ですが、大毘古(大彦)の弟なので、「大彦」に対応する「少彦」と思われます。
また、『紀』の表記から、「少彦男心」ともいわれたことがわかります。
『紀』景行紀3年2月条に戻ると、屋主忍男武雄心について「一に云はく、武猪心といふ」と記されます。
「屋主忍男武雄心」「武猪心」「少名日子建猪心」「少彦男心」。
互いに酷似するこれらは同一人物であり、武内宿禰系譜では武内宿禰の父と、大彦系譜では大彦の弟と認識されていたと推測されます。
しかし、武内宿禰系譜と大彦系譜の双方が載る孝元系譜に、重複して名を記すことは避けなければなりません。
苦慮した結果、『記』は、大彦の弟としての「少名日子建猪心」を採用し、建内宿禰(武内宿禰)の父については、比古布都押之信としました。
比古布都押之信は、おそらく「屋主忍男武雄心」を抽象化して創作した観念と思われます。
『紀』は、「屋主忍男武雄心」の事績を記した景行紀3年2月条に、武内宿禰の父であると記し、孝元系譜には「屋主忍男武雄心」の名を出さず、(『記』のように「父」とする見解もあるけれど)彦太忍信は「祖父」であると、『紀』内部の整合性を図り、大彦系譜の部分には異伝として「少彦男心」を付記したと思われます。
『記』は整合性を優先して異伝を切り捨てるのに対し、『紀』は整合性は図りつつも異伝を切り捨てないという姿勢が表れているといえます。
◇ 「屋主忍男武雄心(武猪心)」「少名日子建猪心」に類似する名として、『姓氏録』や「国造本紀」に「彦屋主田心」がみえる。(→ 彦屋主田心と道君)
◇ 「屋主忍男武雄心(武猪心)」「少名日子建猪心」は、葛城・綴喜・越の勢力を包括する始祖的人物と推測される。(→ 葛城・綴喜・越と「少日子(すくなびこ)」)