少名毘古那神と久延毘古

『記』によると、大国主神が出雲の御大(みほ)の御前(みさき)にいた時、鵝の皮を着た神が、ガガイモの莢の舟に乗って顕れました。

誰もが知らない神でしたので、多邇具久(ヒキガエル)の勧めに従って、久延毘古(くえびこ)に聞くと、

神産巣日御祖神の御子、少名毘古那(すくなびこな)神であることがわかり、大国主神とともに、国作りをすることになります。

久延毘古について、次のように記されます。

故、其の少名毘古那神を顕し白しし所謂る久延毘古は、

今には山田のそほどぞ。

此の神は、足は行かねども、尽く天の下の事を知れる神ぞ、

「山田のそほど」は案山子(かかし)で、「くえびこ」は「崩え彦」、すなわち、雨風にさらされて傷んだ姿の意味です。

西郷信綱氏は、久延毘古と少名毘古那神の関係について、アメノウズメに対する猿田彦神と同様、神を顕した一族が神の眷属であったと推測されます。(西郷信綱『古事記注釈』3、筑摩書房、2005年、177頁)

◇ 久延毘古後裔氏族は、三輪と葛城の地との関わりをもつ。(→ 久延毘古後裔氏族

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