『伊勢国風土記』逸文に、天御中主尊12世孫の天日別が、伊勢国から伊勢津彦を追い出し、神武天皇から封国として与えられた話がみえます。(→ 建御名方と伊勢津彦)
天日別は、『姓氏録』左京神別下の伊勢朝臣の項に、「天底立命の孫、天日別命の後なり」とみえます。(伊勢朝臣の旧姓は直で、後に中臣伊勢連と改姓されます)
『紀』神代紀第1段本文に、天地が定まってきた時に現れたという国常立尊について、一書第1に「亦は国底立尊と曰す」と記され、『記』において、国之常立神の前に現れた5神のうちに天之常立神があることから、天底立とは、天之常立神のことであると考えられています。
天底立と天日別は、『豊受大神宮禰宜補任次第』と『度会氏系図』にもみえます。
『豊受大神宮禰宜補任次第』: 国常立尊ー天八下命ー天御下命ー天合命ー天八百日命ー天八十万魂命ー神魂命ー櫛真乳魂命ー天曾己多智命ー天嗣桙命ー天鈴桙命ー天御雲命ー天牟羅雲命ー天波与命ー天日別命
『度会氏系図』: 天御中主尊ー天八下尊ー天三下尊ー天合尊ー天八百日尊ー天八十万魂尊ー神皇産霊尊ー櫛真乳魂命ー天曾己多智命ー天嗣桙命ー天鈴桙命ー天御雲命ー天牟羅雲命ー天波与命ー天日別命
佐伯有清氏は、天底立命(天曾己多智命)は、天地が定まってきた時に現れたという天之常立神と同神であるのに、後世、伊勢直(中臣伊勢連・伊勢朝臣)氏や度会氏が、国常立尊や天御中主尊に遡る系譜を造作したと推測されます。(『新撰姓氏録の研究 考証篇第3』1982年、160~163頁)
「国造本紀」の伊勢国造条に「橿原朝 以天降天牟久怒命孫天日鷲命 勅定賜国造」、同本紀の前記に「遣粟忌部首祖天日鷲命。・・・既而初都橿原。即天皇位。勅褒其功能。寄賜国造。・・以天日鷲命。為伊勢国造。即伊賀伊勢国造祖」とみえます。
伊勢国造の祖である天日鷲は、天牟久怒の孫とあり、天牟久怒は、『豊受大神宮禰宜補任次第』『度会氏系図』にみえる天牟羅雲なので、天日鷲は天日別と同神ということになります。
天日鷲は、『姓氏録』に天日和志、天比和志とも表記され、左京神別中の多米連、右京神別上の天語連、多米宿禰、大和国神別の田辺宿禰、摂津国神別の多米連の祖とされます。
また、『紀』『古語拾遺』にも天日鷲がみえます。
『紀』神代紀第7段一書第3の天石窟神話には、天児屋根が天香山の真坂木を根掘にして、上枝に八咫鏡、中枝に八尺瓊の曲玉、下枝に木綿(ゆう)を掛け、忌部首の遠祖太玉が持って祈禱したことがみえ、下枝の木綿について、粟国の忌部の遠祖天日鷲が作ったと記されます。
『紀』神代紀第9段一書第2の国譲り神話にも、天日鷲が木綿を作ったことがみえ、『古語拾遺』には、太玉が率いた神々のなかに天日鷲が記され、阿波国忌部等が祖とあります。
『紀』『古語拾遺』ともに、阿波(粟)国忌部の祖と記され、「国造本紀」の前記に「粟忌部首祖天日鷲命」とあることと一致します。
中臣氏神系の神で、神武東征伝承にみえる天日別と、忌部氏神系の神で、天石窟神話・国譲り神話にみえる天日鷲が同神とされます。
これは何を意味するのか。
天日鷲について、さらに探ります。
茨城県に天日鷲を祭神とする鷲神社が多数みえます。
『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge)に独立項目として載る鷲神社8社の祭神は次のとおりです。
| 鎮座地 | 主祭神 | 配神 | |
| ① | 那珂市鴻巣 | 天日鷲 | |
| ② | 土浦市大畑 | 天日鷲 | |
| ③ | 土浦市東崎町 | 天日鷲・手力雄 | |
| ④ | 八千代町沼森 | 天日鷲 | |
| ⑤ | 古河市大和田 | 天穂日 | 経津主・猿田彦 |
| ⑥ | 古河市稲宮 | 天穂日 | |
| ⑦ | 境町山崎 | 天穂日 | |
| ⑧ | 坂東市馬立 | 天日鷲 | 経津主 |
鷲神社8社のうち、5社は天日鷲を、3社は天穂日を祭神とします。
天日鷲は、出雲臣祖の天穂日と関係はあるのか。
①と⑧の創始伝承に注目します。
①は、白幣をくわえて飛来した巨鳥が武州日鷲の神とわかり奉祭したと伝え、⑧は、武州鷲ノ宮の鷲大明神を分霊奉遷と伝えます。
「武州日鷲の神」「武州鷲ノ宮の鷲大明神」とは、埼玉県久喜市鷲宮の鷲宮神社を示します。


鷲宮神社は、浮き島とよばれた古利根川右岸の微高地に鎮座し、浮き島大明神とも称し、『新編武蔵風土記稿』(文政11年(1828)成立)によると、古代の土師連が祀る土師宮が鷲宮に転じたものであるといいます。
中世史料では「鷲宮」と表記される例が多く、まれに「鷲大明神」とし、江戸期の史料では「鷲ノ宮村の明神」「鷲宮大明神」「鷲明神社」と記されます。
創建について、江戸時代成立の鷲宮大明神由来略記(鷲宮神社文書)などに、天穂日命とその子武夷鳥命が27氏族を率いて当地に入植し、まず国土経営の神である大己貴命を祀る神崎社を建て、次に当地を開いた天穂日命と武夷鳥命を祀る当社を建立したと記されます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):埼玉県:北葛飾郡>鷲宮町>鷲ノ宮村>鷲宮神社)
『紀』崇神紀60年7月条に、「武日照命〈一に云はく、武夷鳥といふ。又云はく、天夷鳥といふ。〉の天より将ち来れる神宝」がみえます。
文脈からみて、出雲臣が最も重要な宝器として出雲大神の宮に納めて祀っており、当時、出雲臣の最高神は武日照であったのではないか(天穂日は後発の祖神か)と推測されます。
武日照は、武夷鳥、天夷鳥、建比良鳥とも表記されるように、「鳥」と推察されます。
鷲宮神社の「鷲宮」とは、土師連の祖神の武日照(武夷鳥)のことであり、当該神を分祀した鷲神社の天日鷲も同神と思われます。
また、鷲神社8社の祭神に、天日鷲と天穂日が混在するのは、親(天穂日)か子(武夷鳥)かという違いであり、神の本質は同じことになります。
中臣氏神系の天日別と、忌部氏神系の天日鷲は、出雲臣祖神の武日照(武夷鳥)と同神ということになります。
中臣・忌部2氏は、天石窟神話に登場するという共通点があり、伊勢神宮内宮神との関係を示します。
また、中臣伊勢連は、同じ中臣氏系の内宮神官家の荒木田氏との関係が想像され、外宮神官家の度会氏とともに、天日別を祖神に含んでいたことが注目されます。
このことは、天日別・天日鷲すなわち、出雲臣祖神の武日照が伊勢神宮内宮・外宮の神であったことを示唆します。
◇ 『伊勢国風土記』逸文の伊勢津彦と天日別の話は、伊勢神宮内宮・外宮の神の変遷を描いていると思われます。(→ 伊勢神宮内宮・外宮の神の変遷)