額田部連– tag –
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大山守皇子・額田大中彦皇子と山守と出雲
『紀』仁徳即位前紀に、倭屯田の屯田司を出雲臣祖淤宇宿禰が務めることに対して、額田大中彦皇子が抗議する話がみえ、理由を次のように述べています。 是の屯田は、本より山守の地なり。 是を以て、今吾、将に治らむとす。爾は掌るべからず。 倭屯田は「山... -
曙立王・菟上王と出雲
『記』垂仁記に、曙立王・菟上王がホムチワケを連れて出雲に行く話がみえます。 曙立王・菟上王は、『記』開化系譜に、日子坐王と山代之荏名津比売(亦の名刈幡戸弁)の子、大俣王の子としてみえ、曙立王は、伊勢品遅部君・伊勢佐那造の祖、菟上王は、比売... -
長門の住吉坐荒御魂神社
『紀』神功摂政前紀に、仲哀天皇が住吉大神の祟りで筑紫橿日宮で亡くなり、遺骸が穴門豊浦宮に遷され殯が行われ、「穴門の山田邑」に穴門直践立を神主として住吉大神が祭祀されたことがみえます。 「穴門(あなと)」は、律令制下の長門国の旧名で、古くは... -
生根神社と少彦名
『延喜式』神名帳に、摂津国住吉郡の生根神社、大和国城上郡の忍坂坐生根神社と、2つの生根神社がみえます。 住吉郡の生根神社は、住吉大社の東に鎮座し、江戸時代には、同社の摂社でしたが、明治5年(1872)に分離独立しました。 城上郡の忍坂坐生根神社...
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