天照大神高座神社は、生駒山地の高安山南西の山麓、大阪府八尾市教興寺に鎮座します。
『延喜式』神名帳の河内国高安郡では、名神大社の恩智神社に次ぐ社格で、月次祭・新嘗祭の折、官幣に与る神でした。
恩智神社とは、700mの至近距離にあり、弁天山の谷間の巨岩を神の磐座とします。
『延喜式』神名帳に「元名春日戸神」と記され、「春日戸神」とよばれたことがわかります
また、神名帳の高安郡に「春日戸社坐御子神社」がみえ、「天照大神高座神社」内に所在した可能性が推測されています。
(『大日本史』(神祇志)は、現在、八尾市山畑の佐麻多度神社の境内末社となっている山畑神社(神明社)を「春日戸社坐御子神社」とします。)
いっぽう、恩智神社も「元春日」と称することがありました。
明治維新まで、春日大社の猿楽は、恩智神社の猿楽が出張しなければ行われず、春日社から米7石5斗と金若干の扶持を受けていたと伝えられます。
天照大神高座神社と恩智神社は、ともに「春日」と関係します。
また、『神社覈録』(鈴鹿連胤による神社の研究書 1870年成稿)に、次のような記述がみえます。
神宮雑事記云、春日戸高座神ハ伊勢津彦神等石窟也
豊受大神宮度会山田原御鎮座以後、任神勅恐給天、春日戸神遷座于河内国高安郡也
「春日戸高座神は、伊勢津彦神の石窟であったが、伊勢神宮外宮神の山田原鎮座以後、河内国高安郡に遷座して来た」とあります。
「天照大神高座神」の名称と関係をもつ伝承ですが、現行本の『太神宮諸雑事記』に、この一文はありません。
(『日本歴史地名大系(JapanKnowledge)』大阪府:八尾市>教興寺村>天照大神高座神社、八尾市>恩智村>恩智神社、八尾市>山畑村)
◇ 恩智神社について住吉大社と春日大社と深い関わりが認められ、さらに、周辺に、天照大神高座神社・玉祖神社・掃守神社など神話伝承と関わりをもつ神社が密集し、秦氏の寺が所在するなど、当該地域の特殊な性格が窺える。(→ 河内国高安郡の特殊性)