兵主神社と掃守・卜部・日矛

『延喜式』神名帳に、次のように、兵主神社19社がみえます。

大和国2社城上郡穴師坐兵主神社(名神大)
穴師大兵主神社
和泉国1社和泉郡兵主神社
三河国1社賀茂郡兵主神社
近江国2社野洲郡兵主神社(名神大)
伊香郡兵主神社
丹波国1社氷上郡兵主神社
但馬国7社朝来郡兵主神社
養父郡兵主神社
更杵村大兵主神社
出石郡大生部兵主神社
気多郡久刀寸兵主神社
城崎郡兵主神社
兵主神社二座
因幡国2社巨濃郡佐弥乃兵主神社
許野乃兵主神社
播磨国2社飾磨郡射楯兵主神社二座
兵主神社
壱岐国1社壱岐郡兵主神社(名神大)

「兵主」は、古代中国の神であり、司馬遷の『史記』の封禅書に、秦の始皇帝が山東省地方の古来の8神を祭祀した記事に、「三を兵主と曰ふ。蚩尤を祀る。蚩尤は東平陸の監郷に在り。斉の西方なり」とみえ、東平陸(山東省紋上県の北方)にある、蚩尤の塚で、兵主の神が祭られていました。

蚩尤は、中国古代伝説上の諸侯で、『史記』の五帝本紀に、黄帝の即位に際し、他の諸侯がみな黄帝を擁立しようとしたのに対し、蚩尤のみが暴虐で、天下に乱をなしたので、黄帝が討伐したと伝えます。

『延喜式』神名帳にみえる19社の兵主神社は、古代中国の兵主神と関わるものと思われますが、中国から奉祀者が来て祭祀したものなのか、日本古来の神に後付けされたものなのか、よくわかっていません。

兵主神について次のような点が注目されます。

① 19社のなかの7社が、但馬国に所在するという、顕著な傾向がみられることから、但馬出石の天之日矛との関係が推測されます。(黛弘道「延喜神名式雑考」(『律令国家成立史の研究』1982年)

② 名神大社の近江国野洲郡と壱岐国壱岐郡の兵主神社について、顕宗朝に月神を祭祀した卜部との関わりが認められ、月神の属性とみられる日向隼人との関係が推測されます。(→ 『紀』顕宗紀の月神・日神祭祀)(→ 近江国野洲郡の馬路石辺神社

③ 和泉国和泉郡の兵主神社(大阪府岸和田市西之内町)は、和泉国和泉郡掃守郷の中心地域に鎮座し、掃守の関係が認められます。

④ 大和国城上郡の穴師坐兵主神社、穴師大兵主神社の鎮座地「穴師」は、『紀』垂仁紀25年3月条一云にみえる「倭大神」の神地の「穴磯邑」であり、兵主神と倭大国魂神(倭大神)の祭祀地が一致しています。(→ 大和国城上郡の穴師坐兵主神社・穴師大兵主神社)

兵主神は、「天之日矛」「月神」「掃守」「倭大国魂神」との接点が認められます。

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