各地に残る「掃守」「加守」「神守」という地名の土地は、掃守連の拠点とされますが、『記』『紀』垂仁段伝承の構成要素と重複する特徴が認められます。
a | 奈良県葛城市加守 | 大和国葛下郡 |
b | 兵庫県南あわじ市榎列掃守 | 淡路国三原郡倭文郷 |
c | 三重県松阪市神守町 | 伊勢国多気郡流田郷 |
d | 大阪府岸和田市加守町 | 和泉国和泉郡掃守郷 |
e | 島根県出雲市斐川町神氷 | 出雲国出雲郡漆治郷 |
f | (大阪府八尾市黒谷・教興寺) | 河内国高安郡掃守郷 |
g | 愛知県津島市神守 | 尾張国海部郡 |
h | (愛媛県伊予郡松前町徳丸 高忍日売神社) | 伊予国伊予郡 |
i | (京都府木津川市山城町綺田) | 山城国相楽郡蟹幡郷 |
① 倭文・大国魂との相関性(a,b,c,d)
奈良県葛城市加守(a)、兵庫県南あわじ市榎列掃守(b)において、掃守、倭文、大国魂の3属性の重複がみられます。
奈良盆地西南部、二上山麓の奈良県葛城市加守は、掃守寺と推定される加守廃寺があり、掃守連の本拠地とされますが、当地に、葛木倭文坐天羽雷命神社が鎮座し、摂社の二上神社(葛木二上神社遙拝所)に大国魂神が祀られます。(→ 葛木倭文坐天羽雷命神社)
兵庫県南あわじ市榎列掃守は、淡路国三原郡倭文郷の比定地が北に接し、掃守社、倭文社、大和大国魂神社の3社が半径600m圏内に集中して鎮座します。(→ 淡路国三原郡の大和大国魂神社)
三重県松阪市神守町(c)の至近に、倭文神ではありませんが、機織神を祭る麻続神社・神服織機殿神社・神麻続機殿神社が鎮座し、倭大国魂神に関与した伊勢麻績君の拠点とみられ、掃守・機織・大国魂の3属性の重複がみられます。(→ 伊勢国多気郡麻続郷)
大阪府岸和田市加守町(d)は、和泉国和泉郡掃守郷の遺称地ですが、郷域に、兵主神社が鎮座します。
兵主神社2社(穴師坐兵主神社・穴師大兵主神社)が鎮座する穴師(穴磯)は、『紀』垂仁紀に倭大国魂神の神地とされます。(→ 穴師坐兵主神社・穴師大兵主神社)
② ホムツワケとの相関性(e,f)
島根県出雲市斐川町神氷(e)の小字「神氷」は、「神守」「氷室」の合併したものです。
神守に鎮座する式内社の加毛利神社は「蟹守」子孫の氏神とされ、『古語拾遺』にみえる天忍人の蟹の伝承が伝わり、氷室に鎮座する式内社の曾枳能夜神社は、『記』ホムツワケ伝承の岐比佐都美を祀ります。(→ ホムツワケ伝承と出雲仏経山)
また、ホムツワケ伝承の関係氏族は、河内国高安郡掃守郷に比定される、大阪府八尾市黒谷・教興寺(f)周辺を拠点とします。(→ 河内国高安郡とホムツワケ伝承)
③ 神八井耳との相関性(f,g,h)
『和州五郡神社神名帳大略註解巻四補欠』所引「多神宮注進状裏書」に、多氏の祭祀する多坐弥志理都比古神社とその関係神6神と河内国の神社6社との同体異名関係が記されていますが、6社のうち春日戸社坐御子神社、天照大神高座神社、掃守神社の3社が河内国高安郡掃守郷(f)の郷域に鎮座します。(→ 『多神宮注進状裏書』にみえる河内国の神社)
愛知県津島市神守(g)は、尾張国海部郡の式内社憶感神社の鎮座地です。
尾張国海部郡には、多氏同祖氏族の島田臣の拠点とされる嶋田郷があり、丹羽郡とともに多氏同祖氏族の勢力圏です。(→ 尾張大海媛と神八井耳)(→ 河内志紀と尾張を結ぶ神八井耳)
愛媛県伊予郡松前町徳丸に鎮座する高忍日売神社(h)は、伊予国伊予郡の式内社で、『古語拾遺』の天忍人の蟹伝承の異伝を伝え、配神として天忍人を祭りますが、その西南西1,7kmに、多氏同祖氏族の伊余国造の奉祭する名神大社の伊予神社が鎮座し、多氏同祖氏族の勢力圏とみられます。(→ 常道仲国造の祖「建借間」)
掃守と多氏同祖の神八井耳後裔氏族との相関性が認められます。
④ 垂仁妃の綺戸辺は、山城国相楽郡蟹幡郷(i)の人物とみられますが、郷域に「蟹の恩返し」伝承の蟹満寺(京都府木津川市山城町綺田)があり、郡領氏族として掃守宿禰がみえます。(→ 南山城の蟹の伝承と掃守)(→ 綺戸辺(かにはたとべ))
⑤ 『姓氏録』にみえる掃守田首は、紀角宿禰後裔氏族ですが「掃守」を名とします。
『越中石黒系図』の紀角宿禰に尻付に「・・苅田首祖」とみえ、苅田首は掃守田首の意で、「掃守田」は「苅田」とも記されます。(佐伯有清『新撰姓氏録の研究 考証篇第2』1982年、154頁)
「苅田」の地名も各地に残り、大阪府大阪市住吉区苅田は「依網池」の地で、『記』開化系譜の依網阿毘古、岡山県赤磐市大苅田は中世鳥取庄の地で、ホムツワケの鳥取連との関係が窺われます。
滋賀県東近江市神田(じんでん)町の河桁御河辺神社は、『延喜式』神名帳の近江国神崎郡の川桁神社に比定され、祭神は鳥取連祖天湯河桁で、境内社に籠守(こもり)神社があります。(→ 掃守田首と「苅田」「神田」)
⑥ 大和国十市郡の多坐弥志理都比古神社摂社の小杜神社、大和国添上郡の率川神社、丹後国与謝郡の籠神社の3社について「こもり」の名称が共通します。(→ 率川坐大神神御子神社)(→ 多坐弥志理都比古神社)(→ 丹後の元伊勢伝承)
小杜神社は、③と同様、多氏に関係します。
率川神社は、開化天皇の春日率川宮・春日率川坂本陵の地に鎮座し、開化系譜に、垂仁妃の父の丹波比古多々須美知能宇斯王(丹波道主王)など多数の「丹波」の人物がみえ、「丹波」は丹後を示します。
率川神社・籠神社は、開化系譜と深く関わります。
「こもり」は、掃守の意と推測されます。
①〜⑥をみてくると、次のようなことがわかります。
「掃守」について、垂仁段のホムツワケ・大国魂との相関性が認められます。
倭文連は、ホムツワケに一義的に関与する鳥取連と同祖の角凝後裔氏族であり、また、開化系譜は、垂仁段の登場人物が記される系譜なので、やはり垂仁段につながります。
『記』『紀』開化段・垂仁段の系譜・伝承は、「掃守」をベースとして展開しています。
開化段・垂仁段とは別に、③の多氏同祖神八井耳後裔氏族との関係が認められます。
「掃守」は、掃守連1氏族だけではない広がりが窺われます。