『記』『紀』国譲り神話(『紀』神代紀第9段本文、一書第1、『記』)に、天稚彦と味耜高彦根神の話がみえます。
天稚彦は、国譲りのために葦原中国に派遣されましたが、当地の女性と結婚して居着いてしまい、高天原から様子を見に来た雉の使いに矢を射ると、その矢が戻ってきて当たって落命しました。
葬儀が行われるなかで、天稚彦そっくりな味耜高彦根神が現れ、死者が生き返ったと大騒ぎになると、味耜高彦根神は、間違われたことに怒って喪屋を斬り、喪屋は美濃に落下して「喪山」となりました。
次のような点に注目します。
① 高鴨阿治須岐託彦根神社
『記』大国主神の系譜に「阿遅鉏高日子神は、今迦毛大御神と謂ふぞ」、『延喜式』「出雲国造神賀詞」に「阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の神奈備に坐せ」とみえるように、味耜高彦根神は、大和国葛上郡の高鴨阿治須岐託彦根神社(奈良県御所市鴨神)の祭神であり、奉祭勢力は鴨君です。(→ 鴨君と味耜高彦根神・事代主神)
② 下照姫
天稚彦の妻は、『紀』神代紀第9段本文に「顕国玉の女子下照姫」、『記』に「大国主神の女下照比売」と記され、『紀』神代紀第9段一書第1では、味耜高彦根神の妹を「下照媛」とします。
『記』大国主神の系譜は、大国主神と胸形奥津宮に坐す神多紀理毘売の子として、阿遅鉏高日子神と高比売を記し、高比売の亦の名を「下光(したでる)比売」とします。
天稚彦の妻であったり、味耜高彦根神の妹であったり、下照姫の属性は流動的ですが、当該伝承に不可欠の存在であることが窺われます。
③ 機織り・鳥
『記』『紀』に、「天なるや 弟織女の 頸がせる 玉の御統の 穴玉はや み谷 二渡らす 味耜高彦根神」という歌がみえます。
下照姫が「弟織女(おとたなばた)」すなわち織女神であることを示します。
伯耆国河村郡の倭文神社(鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内)は古くから下照姫を祭神とすることで著名ですが、やはり、倭文すなわち機織りと下照姫の関係を示します。
また、『伯耆民談記』(『伯耆民諺記』(寛保2年(1742))を補正)の倭文神社の項に「氏子の人禽獣の肉を食はず、押て食する時は、忽ち病脳を発す」と、鶏や鶏卵を食することへの禁忌がみえます。
天稚彦の葬儀が河鴈・鷺・翠鳥・雀・雉と「鳥づくし」で行われていることともつながり、下照姫と鳥のあいだに特殊な関係が窺われます。
④ 天之日矛
『記』天之日矛伝承において、天之日矛の妻は、「難波の比売碁曾社に坐して、阿加流比売神と謂ふぞ」と記され、『延喜式』神名帳の摂津国東生郡の比売許曾神社(大阪府大阪市東成区東小橋)の祭神とされます。
『延喜式』臨時祭条に「比売許曾神社一座〈亦号下照比売〉」、『延喜式』四時祭条に「下照比売社一座〈或号比売許曾社〉」とみえ、祭神は下照姫とされます。
男女ペア神という構成と女神が下照姫とされる点、さらに、日矛の妻が玉の化身であったことと「弟織女の 頸がせる 玉の御統の 穴玉はや」とある玉と織女神の関係は、2つの伝承の淵源が共通することを示唆します。
⑤ 美濃
「喪山」の話は、天稚彦と美濃との関係を示します。(→ 大碓命後裔氏族の牟義公・守君)
『常陸国風土記』に、機織りに長じた長幡部が美濃国から到来したことがみえ、『記』開化系譜に、長幡部連と三野国本巣国造は同祖関係とされます。(→ 『常陸国風土記』の長幡部伝承)
「喪山」伝承に関与したのは、美濃の機織り勢力である可能性があります。
①〜⑤から、天稚彦と味耜高彦根神伝承の意味を探るうえで鍵となるのは、下照姫と思われます。
下照姫とは、どのような神格なのか。
天稚彦と味耜高彦根神伝承は、国譲り交渉の第2弾で、初回に続く失敗談とされます。
高天原から派遣された天稚彦が葦原中国の下照姫に取り込まれ交渉に失敗して死んだ後、その再生かと思われる味耜高彦根神が登場しますが、味耜高彦根神は大国主神の子で、下照姫は妹です。
天神が、葦原中国の下照姫に取り込まれて死んで、葦原中国の神として再生する話といえます。
『記』に、出雲国造の祖として「天菩比命の子、建比良鳥命」がみえ、『紀』崇神紀60年7月条に「武日照命〈一に云はく、武夷鳥といふ。又云はく、天夷鳥といふ。〉の天より将ち来れる神宝を、出雲大神の宮に蔵む」と記されます。
出雲大神の宮にその神宝が奉祭されていたという「武日照」は、出雲の至高神とみられ、「武夷鳥」「天夷鳥」「建比良鳥」という表記にあるように、神の本質は「鳥」と推測されます。
「ひなとり」が「日照」と表記されるので、「ひのとり」と想像されます。
下照姫は、「武日照」の化身であり、鳥の禁忌はそのために存在したと思われます。
国譲り交渉の第2弾が決裂した後、出雲に譲歩するかたちで、出雲の至高神の化身の下照姫を中心とする神の系譜と物語が作られたのではないかと想像します。