美濃国池田郡の勢力

大宝2年(702)「御野国味蜂間郡春部里戸籍」の味蜂間郡春部里は、『和名抄』の池田郡春日郷とされ、粕川下流右岸の岐阜県揖斐郡池田町養基地区・揖斐川町脛永地区に比定されます。

奈良時代末から平安時代初期まで(746年~847年)、安八郡の郡域は、後の池田郡域を含んで広く北方に延びており、在地有力勢力は神八井耳後裔と推測されます。(→ 神八井耳と美濃・尾張)(→ 尾張大海媛と神八井耳

いっぽう、旧安八郡の北部にあたる「春部里戸籍」には、国造族を中心に、春部・春日や六人部の姓をもつものが多くみられ、郡司として「伊福部君福善」「春日益」が署名し、さらに、大碓命後裔氏族の守公に連なるとみられる守部がみられます。(→ 大碓命後裔氏族の牟義公・守君

守部については、『三代実録』貞観10年(868)7月12日条にも、美濃国池田郡人守部秀刀自が夫の死後、義を守って移らず、造仏写経に専念したことから叙位され、戸内への免租を受けたことがみえます。

安八郡・池田郡における、「神八井耳」と「大碓」の2つの後裔勢力の組合せに注目します。(→ 美濃国の勢力構造)

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