伊勢国鈴鹿郡の忍山神社・布気神社

『延喜式』神名帳の伊勢国鈴鹿郡に、忍山神社と布気神社がみえます。

忍山神社
布気皇館太神社

忍山神社(三重県亀山市野村)は、野村集落の西南にあたる鈴鹿川北岸段丘上に鎮座し、祭神は猿田彦命で、俗に白鬚明神または野村の神明と称します。

布気(ふけ)神社(亀山市布気町)は、布気皇館太神社とよばれ、忍山神社とは1.64kmの至近距離にあり、両社の鎮座地は、『和名抄』伊勢国鈴鹿郡神戸郷に属しました。

また、両社は、遷座をめぐり複雑な関係にあります。

野村の古名は「忍山」とよばれ、『倭姫命世記』によると、垂仁朝の伊勢神宮内宮遷座の際、「川俣県造祖大比古命」の国、「味酒(まさけ)鈴鹿国の奈其波志(なごはし)忍山」に神宮が造られ、神田・神戸が奉られました。

神戸の郷名はこの頓宮に由来し、旧地は、忍山神社を含む愛宕山麓西南域とされます。

また、布気林近くの忍山にあった忍山神社は、文明年間(1469~1487)の兵火で布気神社に合祀され、社名を忍山神社と称したという伝承があります。

いっぽう、近世野尻村の街道沿いの叢林にあった皇館社は、雄略朝に豊受大神宮が伊勢国へ遷座した際の行宮の旧跡と伝わり、そこに、鈴鹿神戸の処務を扱う神庤が設けられ、後に神戸7郷の総社となりました。

享保8年(1723)に大神号の宣旨を受け、いつの頃からか皇館社に式内布気神社が合祀されたと誤解され、布気皇館大神と称するに至ったといわれます。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):三重県:亀山市>野村>忍山神社、亀山市>野尻村>布気神社)

『延喜式』の忍山神社と布気神社と、現在の忍山神社と布気皇館太神社の関係は判然としないのですが、「忍山」と「布気林」が近いと伝承にあること、また、現在の2社が至近にあること、忍山社は内宮遷座の旧跡、皇館社は外宮遷座の旧跡とされ、ともに伊勢神宮との深い関係を示すことから、忍山神社と布気神社は、比較的狭い一体性をもつ地域に鎮座していたものと思われます。

忍山大橋から鈴鹿川を8.5km下った安楽川との分流点の周辺の台地は、ヤマトタケル終焉の地、能褒野に比定され、ヤマトタケル伝承の「穂積氏忍山宿禰」と忍山神社の関係が注目されます。(→『紀』景行紀の穂積氏忍山宿禰

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