『日本霊異記』上巻第3縁に、尾張国愛智郡片輪里に生まれた雷神の子の話がみえ、中巻第4縁と第27縁に、その子孫に関わる話がみえます。
上巻第3縁によると、敏達朝に、尾張国阿育知郡片蕝󠄁里で、落下した雷神を助けた農夫が雷神から子を授かります。
子は、大宮の東北の角の別院に住む王との力競べに勝ち、元興寺の童子となり、さらに、鐘堂に現れる鬼を退治して優婆塞になり、寺の田の水を妨害する王たちに勝って道場法師となります。
中巻第4縁には、道場法師の孫にあたる、尾張国愛智郡片輪里の女が、美濃国方県郡小川市で、川船の荷物を強奪して人々を困らせる、三野狐という怪力の女を退治する話がみえます。
中巻第27縁には、道場法師の孫にあたる、尾張国愛知郡片蕝󠄁里の女が、尾張国中嶋郡大領、尾張宿禰久玖利の妻となって、夫のために織った衣を尾張国司稚桜部任に奪われると怪力を以て奪い返しますが、夫の一族は、国司に恨まれることを恐れて女を離縁します。
その後、里に戻った女は、草津川の河津で洗濯している時に小馬鹿にされたことに腹を立て、怪力を使って川舟の船長を懲らしめました。
「草津(かやつ)川の河津」は、伊勢湾が湾入していた五条川・庄内川河口域にあった、海部郡の萱津(草津)とみられ、現在の愛知県あま市上萱津・中萱津・下萱津に比定されます。
女の嫁ぎ先の中嶋郡大領の家は、国司と事件を起こしていることから、同じ中嶋郡の尾張国府の近くにあったと推測されます。
国府は、萱津より五条川を北へ6.4km遡った、青木川との分岐点である下津(おりづ)の東方3kmに所在します。
いっぽう、女の出身地である「尾張国愛智郡片輪里」は、名古屋台地が熱田へ延びる中央部西縁に位置し、元興寺(名古屋市中区正木4丁目)に道場法師伝承が伝わります。
当地の古い小字「古渡(ふるわたり)」(熱田神宮の北北西2km)は、東海道の新溝駅の比定地の1つとされ、東海道は、新溝駅から萱津を経て馬津駅(津島市)まで、伊勢湾の海岸線に沿っていたと考えられています。
馬津の所在は不明ですが、式内社の売夫神社が鎮座し、また、北に、『紀』安閑紀2年5月条の「尾張国間敷屯倉」、『紀』宣化紀元年5月条の「尾張国屯倉」の比定地が広がる、日光川・三宅川の河口域(愛西市勝幡町・小津町・稲沢市平和町城ノ内・城西・嫁振・嫁振東・平六)が注目されます。(→ 尾張国中島郡の売夫神社)
三宅川は、国分寺(稲沢市矢合町)を経て、国府(稲沢市松下・国府宮)へ至り、その付近(稲沢市赤池・下津)で流路が辿れなくなります。
尾張国府を頂点として、萱津に繋がる五条川水系と馬津に繋がる三宅川水系を2辺とする、大きな3角形の交通体系が窺えます。
海部郡の萱津は、『記』『紀』にみえる「尾張大海媛」と関係をもつ甚目連(高尾張宿禰)の拠点に近く、中嶋郡の下津の至近に、『尾張国風土記』逸文の阿豆良神社が鎮座し、いくつもの伝承が当該3角形の交通体系上にあることが注目されます。(→ 尾張大海媛と大和国葛上郡・尾張国海部郡)(→『尾張国風土記』逸文のホムツワケ伝承)
また、『日本霊異記』の三野狐の伝承は、尾張国愛智郡・中嶋郡・海部郡と美濃国大野郡・方県郡の密接な関係を示しています。(→ 美濃国大野郡の狐直伝承)